大阪高等裁判所 昭和56年(ネ)1084号 判決
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
一 控訴代理人は、「原判決中控訴人敗訴部分を取消す。被控訴人らの本件仮処分申請をいずれも却下する。申請費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、主文と同旨の判決を求めた。
二 当事者双方の主張及び証拠の関係は、次に付加するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決三枚目表二行目の「請求原因」を「申請の理由」と、同七枚目表末行の「申請人」を「右申請人」と、同一三枚目裏三行目の「基熟」を「基準」と、同一四枚目表四行目の「共稼き」を「共稼ぎ」と、同一五枚目裏六行目の「真険」を「真剣」と、同一七枚目表一一行目の「身休」を「身体」と、同二四枚目表一〇行目の「春斗」を「春闘」と、同三〇枚目裏六行目から七行目にかけての「ゼミナー」を「セミナー」と、同三九枚目表二行目の「請求原因」を「申請の理由」と、同裏五行目の「申請人ら」を「右申請人ら」と各訂正し、同四〇枚目裏四行目の「、同古川」から同五行目の「配転」までを削除し、同四一枚目裏八行目の「別表」を「別紙」と、同一一行目の「なつた。」を「なつた」と、同一二行目の「後述する)」を「後述する)。」と、同五〇枚目表二行目の「別表」を「別紙」と、同五五枚目表末行の「ため。」を「ため、」と、同一〇八枚目表一行目の「(別紙六)」を「別紙(六)」と各訂正する。)。
(控訴人の主張)
1 いわゆる整理解雇の必要性を判断するについては、会社が、本件解雇をなした時点において、近い将来の経営状態をどのように見通していたか、また、会社がそのような見通しを立てたことがその時点において企業判断としてやむをえなかつたものといえるか否か、さらには、そのような企業判断の下において会社が本件解雇に踏みきつたことが企業人として合理的選択の範囲を逸脱したものといえないのか否かが重視されなければならない。換言すれば、整理解雇の必要性判断にあたつては、景気動向予測、企業の将来性に対する評価などの不確実な要素を含む経営政策上の判断であることから、企業経営に伴う危険を最終的に負担する使用者の判断を尊重すべきであり、その判断が合理性を欠くと認められる場合にのみ必要性を否定すべきなのである。
控訴会社はいわゆる造船不況の波のなか高度の経営危機を打開するため、昭和五二年一〇月以降、生産構造改善計画(同年同月)、経営改革計画(昭和五三年二月)、新経営改革計画(同年八月)をそれぞれ立案し、希望退職募集(昭和五三年二月)、日本コンクリート等への出向の実施(同年九月以降)、定時操業体制・フレックスタイム制度の実施(同年一一月)、再度の退職者の勧奨(昭和五四年三月)等を行つたうえ、昭和五四年三月一五日本件解雇措置に踏みきつたものである。前述したとおり、控訴会社のとつた本件解雇措置が企業人として合理的選択の範囲を逸脱したものか否かを判断するについては、当然それに至る経営状況、一連の諸施策を検討しなければならないものである。
しかるに、原判決はあまりにも本件解雇時点にこだわり過ぎ、控訴会社がそれまでにとつてきた希望退職募集、出向等一連の苦境克服諸施策を、それがそれぞれの時点で如何なる意義をもつものであつたかを評価せず、むしろ本件解雇と完全に切り離して判断しようとしている。しかし、整理解雇の必要性を判断するにあたり、その整理解雇の時点だけを捉えて、さらに控訴会社が実施してきた一連の諸施策をもう一度とるべきであるかの如き判断をするのは、それまでに控訴会社のとつてきた解雇回避策を全く無視するものであつて、原判決は整理解雇の必要性の意義を曲解しているものといわざるを得ないのである。
2 控訴会社は、昭和五三年一二月工場集約に関する方針と合理化対策を策定し、昭和五四年度の操業時間を次のとおり二一九万時間と見込んだうえ、直接部門の人員六八八名、事技・間接職人員三九〇名という要員計画を立案した。
(イ) 新造船 操業時間一三九万時間売上高一五三億五〇〇〇万円
(内訳は別紙(一)(イ)記載のとおり)
(ロ) 海洋陸機材 操業時間三二万時間、売上高二五億四〇〇〇万円
(内訳は別紙(一)(ロ)記載のとおり)
(ハ) 修 繕 操業時間四八万時間、売上高二四億円
右二一九万時間という操業時間数をもとに、控訴会社は、まず、必要な直接工の人員数を割出した。右要員数の割出しにあたつて、最初に会社従業員では経験・技能の面で代替困難な業種(塗装、足場、特殊技倆工等)に必要な協力会社の直接工の数を平均して一日に三三八名と予定した結果、協力会社直接工の操業時間数が二一九万時間のうちの七五・七万時間となつた(計算式は別紙(二)(1)記載のとおり)。そして、二一九万時間より右七五・七万時間を差引いた残りの一四三・三万時間が会社の直接工による操業時間となるので、この操業時間より要員数を割出し六八八名となつたのである(計算式は別紙(二)(1)記載のとおり)。
また、事技・間接人員数については、直間比率を三対一の目標に近づけるべく、各部署ごとに人員削減の可能性を検討し、事技職員三三一名、間接職員五九名、合計三九〇名という要員数を割出した(もちろん事技・間接人員を三九〇名に削減し得たところで、造船業界において通常とされている直間比率三対一には、なお遠く及ばないものであるが、従前より他社に比べ事技・間接人員の比率が高かつた会社の体質からすると三九〇名というのは精一杯の数字であつた。)。
そして、以上のような要員計画を実施すべく、控訴会社は、昭和五四年二月一六日、労働組合との間で減員方法に関する協定を締結し、同年一月一五日現在の人員数一一八二名(出向中の者一一四名を除く。)を右一〇七八名(直接工六八八名、事技・間接職三九〇名)に削減することとしたのである。
従つて、一〇四名を削減するという右要員計画は、既受注船の工事量、引合いのある未契約船の工事量及び将来の見込受注船の工事量を基礎に算出された計画操業時間をもとに立てられたものであつて具体的根拠を有するものであつた。
3 控訴会社は、昭和五二年一一月生産構造改善計画を発表して以来、経営改革計画、新経営改革計画、減員方法(工場集約に関する方針と合理化対策)と近い将来の受注見込を考慮しながら操業計画を立ててきたが、控訴会社の必死の努力にも拘らず、生産構造改善計画発表以降本件整理解雇時点までの約一年半の間に、現実に新たに受注し得た新造船(操業度に関係あるもの)は、僅か九〇〇個積コンテナ船二隻(八三六番船・八三七番船)と政府の緊急対策により急拠受注した海上保安庁向け三五〇トン型巡視船一隻(四五五番船)の合計三隻にとどまつた。そのため控訴会社は、その間、発注者に懇請して多額の違約金を払つてまでも当初の契約納期を遅らせて建造ペースをおとし、従業員のアイドル対策にあたつてきた。
さらに、この時期円高上昇によつて採算性が低下し、むしろ仕事をせず休業する方が採算的には好ましい状態となり、何度か低採算性の契約船をキャンセルすべきであるとの激論も社内にあつた。しかし、仕事をしてこそ企業の存在価値があり、また、命休などによる従業員の収入減はみるに忍びないということで、会社は進むも地獄、退くも地獄という苦悩に満ちた状況下にあつた。なるほど、原判決が指摘するように、昭和五四年度の後半期にようやく新造船の受注が好転してきたのは事実である。しかし、本件整理解雇が行われた昭和五四年三月時点においては、はたしていつの時期に平常の受注状況(年間一〇隻前後の受注)に回復するか全く見通しの立てられない状況にあつた。
生産構造改善計画発表以降の控訴会社の受注状況からすれば、本件整理解雇の基礎となつた減員方法に関する協定において、昭和五四年度における新造船部門の操業時間数を一三九万時間と見込んだのは、むしろ控訴会社にとつては希望的観測を加えての数字であるというのが当時の認識であつた。
以上のような事実経過からすれば、控訴会社が昭和五四年度の操業時間を二一九万時間(うち新造船一三九万時間)と見込んで要員計画を立て、一〇四名の人員削減の必要性があるとして減員措置を講じ、本件整理解雇に踏みきつたことは、昭和五四年三月時点においては全くやむを得ない企業判断といわざるを得ないのであつて、右措置自体が必要性を欠くといつた非難を受けるべき筋合のものでは決してないのである。
4 整理解雇基準運用の合理性が問題となり得るのは解雇基準の該当性の判断そのものが評定者の主観的判断に委ねられるため、相対的評価ないしは評定者の恣意的判断を伴うおそれがある場合に限られるものである。
ところで、本件で問題となつている解雇基準は、「出向拒否を理由とする基準」「欠勤を理由とする基準」「懲戒を理由とする基準」の三つである。そして、右の基準への該当性判断には何ら評定者の恣意的判断が件うものではないことは明らかである。例えば、「業務成績不良」とか「職務怠慢」とかいつた解雇基準については、その該当性を判断する場合には評定者の恣意的判断が入る余地があるので、解雇基準運用の合理性が問題となりうるのに対し、本件のように、「出向拒否」「欠勤」「懲戒」といつた解雇基準への該当性については、客観的に事実関係が明らかであり、恣意的判断の入る余地はなく解雇基準運用の合理性は問題となり得ないのである。
まず、「出向拒否」基準についていえば、本件では、基準該当者(第一次出向たる日本コンクリートへの出向を拒否し、さらに平野金属、古河金属等への第二次出向をも拒否した者)は合計一七名であつた。そして、右一七名の者は、いずれも昭和五四年二月一六日付減員方法に関する協定に基づき、自発的に転進申し出を行い、あるいは控訴会社からの指名解雇により、会社を退職していつた。従つて、「出向拒否」基準該当者が合計一七名であること及び右一七名が全員基準該当者とされ、一人の例外もなく減員方法に関する協定に基づき控訴会社を退職したことが明白である本件事案においては、整理解雇基準の運用の合理性は全く問題とならないものである。
次に、「欠勤」基準についていえば、本件では、基準該当者は合計六名(「出向拒否」基準等に重複して該当する者三名を含む。)であつた。そして、右六名の者のうち、減員方法に関する協定の規定(一、2但書)にのつとり、自ら他会社への出向を申し出た一名の者を除き、五名の者は、いずれも同協定に基づき、自発的に転進申し出を行い、あるいは控訴会社からの指名解雇により、控訴会社を退職していつた。従つて、「欠勤」基準に関しても、前同様、同基準該当者が合計六名であること及び六名が全員基準該当者とされ(ただし、一名の者は、前記協定成立後、自ら出向を申し出たことにより、その対象者から外れることとなつた。)、いずれも減員方法に関する協定に基づき控訴会社を退職したことが明白である本件事案においては、整理解雇基準の運用の合理性は問題とならないものである。
さらに、「懲戒」基準についていえば、本件では、基準該当者は五名(「出向拒否」基準等に重複して該当する者四名を含む。)であつた。そして、右五名の者は、いずれも減員方法に関する協定に基づき、自発的に転進申し出を行い、あるいは控訴会社からの指名解雇により控訴会社を退職していつた。従つて、「懲戒」基準に関しても、前同様、同基準該当者が合計五名であること及び右五名が全員基準該当者とされ、一人の例外もなく減員方法に関する協定に基づき控訴会社を退職したことが明白である本件事案においては、整理解雇基準の運用の合理性は問題とならないものである。
5 控訴会社は、生産構造改善計画、新経営改革計画の実施のため、労働組合にこれら計画を説明のうえ、何度も交渉を重ね、希望退職募集に関する協定(昭和五三年二月六日)、定時操業体制実施協定、フレックスタイム実施要綱、従業員の多能化推進のための協定(いずれも同年一一月一日)、日本コンクリート出向に関する「覚書」(同年九月八日)並びに住特電子材料株式会社(同年一一月一五日)、平野金属株式会社及び古河金属工業株式会社(昭和五四年一月二〇日)、株式会社メックス(同年二月一四日)、協電カットコア製作所(同月五日)、日窒工業株式会社(同年三月一五日)への出向に関する各覚書の調印を労働組合との間で行つた。換言すれば、いずれの場合も労働組合に十分説明のうえ、その納得を得て各制度を実施してきたのである。そして、本件整理解雇に関しても、会社は労働組合に十分説明し、その了解を得て減員方法に関する協定(昭和五四年二月一六日)を労働組合と締結したのちこれを実施したものである。
すなわち、減員方法に関する協定については、昭和五四年一月二六日、中央生産労務協議会において、控訴会社より労働組合に対し提案がなされ、その後、「ほとんど二、三日おきに」労使間でその内容について討議が重ねられた。それら討議の結果を踏まえたうえ、労働組合内部においては、全組合員に対して、同年二月一三日組合ニュースを配付し、また、控訴会社内の組合掲示板にこれを掲示するなどして組合員(従業員)への周知徹底がはかられた。そして、労働組合側の手続として、同年二月一二日大阪及び伊万里の各支部委員会において、前記の如く労使間で討議を重ねた内容で減員方法に関する協定の提案がなされ、職場説明等を経たうえ、同月一五日各支部委員会でこれが承認された。その結果、控訴会社と労働組合との間において、減員方法に関する協定が締結されるに至つたものである。従つて、減員方法に関する協定についても、控訴会社は十分に労働組合側と協議を尽くし、これを締結したものである。
6 原判決は控訴人が被控訴人らを一個の集団として認識し排除したとしているが、これは事実に反する。
控訴会社にとつては「守る会」を誰が結成したかは不明であるし、どれほどの者がこれに所属していたかどうかもわからなかつたのである。ただ、「守る会」というものがあつて、ビラを配付していたことがあり、この配付者はその都度異なつているが、林田、盛本、山脇、馬野、渡具知、川上の各被控訴人のうち、二、三名のものが、他の人達と一緒に配付をしていたことを認識しているだけである。そして、この「守る会」のビラの配付は、昭和五〇年一〇月に被控訴人盛本と控訴会社の間で和解が成立して同月一七日付守る会ニュースにおいて、「盛本君和解成立する。みなさんの支援に心から感謝します。」という内容のビラが配付された以後は「守る会」自体が解散している(控訴会社にとつては解散したか否かも不明であるが、以後「守る会」としての活動は一切なくなつた。)のである。
そして、昭和五〇年一〇月から本件解雇に至るまでは、被控訴人らのうち林田、盛本の両名を除いて、ビラまき、その他何らの集団活動はしていないのである。ただ、前記裁判の和解成立後二年余り経過した昭和五二年一二月以降控訴会社の門前等でビラが配付されたことがあるが、これらはいずれも控訴会社や「守る会」とは別の外部団体の名称でなされているのである。従つて、これらのビラについては控訴会社としては、林田、盛本両名の属する外部団体の宣伝活動であるとの認識はあつたが、それ以上はわからず、また、事実もそのとおりであつたと思われる。
また、被控訴人らのうち古川、阿部、追杉は「守る会」当時から一度もビラの配付に参加しておらず、これらの者については「守る会」会員であつたかどうかを控訴会社が知る由もないのである。
以上のとおり、控訴会社は、他の従業員については勿論のこと、被控訴人らについても、これら「守る会」または外部団体とのかかわりを把握することは困難であり、かつ、不可能であつた。
(証拠)<省略>
理由
一当裁判所も、被控訴人らの本件仮処分申請は、原判決が認容した限度において正当として認容し、その余は却下すべきであると判断するものであるが、その理由は、次に付加するほかは、原判決認定説示のとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決六二枚目表二行目の「書証」の前に「理由中に挙示する」を加え、同八行目の「証人盛山昭雄の」を削除し、同九行目冒頭の「証言」の前に「2 そこで右不況に対処するために会社がとつた合理化政策について検討するに、原審証人盛山昭雄、当審証人西本嘉康の各」を加え、同裏七行目の「第六七号証」を「第七九号証」と、同一〇行目の「検緯」を「経緯」と、同六三枚目表一一行目の「二〇万時間」を「七八万時間」と、同六五枚目裏二行目の「事技職、間接員」を「事技職、間接工」と、同六七枚目表二行目の「製造工程」を「製造、一週間で昼夜交替勤務」と各訂正し、同裏六行目の「株式会社」を削除し、同六八枚目裏八行目の「一、九三一百万円」を「一九億三一〇〇万円」と、同六九枚目裏末行の「従事している者」を「従事している現業職員」と、同七〇枚目裏末行の「別表」を「別紙」と、同七一枚目表八行目の「総トンヘース」を「総トンベース」と各訂正し、同九行目の「四九」の前に「昭和」を加え、同七二枚目裏二行目の「しつつある。」を「しつつある」と、同九行目の「前記」を「前期」と、同一二行目から末行にかけての「昭和五五年」を「同年」と、同七三枚目表二行目の「同年」を「昭和五五年」と、同七行目の「伊万里工場」から同九行目の「増加した」までを「要員計画では下請工の数を三三八名としていたが、昭和五四年四月一日現在の下請工の数は少なくとも四一一名であつた」と、同七四枚目表二行目の「一〇四名」から同三行目の「整理解雇」までを「本件整理解雇を含む一〇四名の人員削減」と、同一〇行目の「一切明らかにされていない」を「適切妥当ではない」と、同裏一行目の「とこ」を「こと」と、同七五枚目表一行目の「同年一月」から同二行目の「増員している」までを「要員計画では三三八名と見込んだ下請工の数は昭和五四年四月一日現在四一一名もいた」と、同七六枚目表一〇行目の「別表(1)」を「別紙(三)」と、同一一行目の「別表(2)」を「別紙(四)」と、同裏一一行目の「選定も」を「選定に」と、同七七枚目表末行の「(二)項」を「(ヘ)項」と、同裏一一行目の「懲式」を「懲戒」と、同七八枚目表八行目の「その余の申請人」を「その余の申請人ら」と、同一〇行目の「前記2」を「後記3」と、同一一行目の「認定した」を「認定する」と、同七九枚目裏六行目の「(ニ)」を「(ヘ)」と各訂正し、同九行目の「否決され」の次に「、さらに組合員の全体投票にかけられたがこれも否決され」を加え、同裏一〇行目の「命せられ」を「命ぜられ」と訂正し、同八二枚目裏一行目の「古川は」の次に「、青年婦人部で交流を深めた労働者とともに」を、同八三枚目表一行目の「地区」の次に「(後に住吉地区)」を各加え、同三行目の「申請人らの手によつて」を「申請人林田、同盛本も加わつて」と、同八四枚目裏六行目の「つき会つて」を「つきあつて」と各訂正し、同九二枚目裏四行目の「認定」の次に「した」を、同九四枚目表五行目の「第六一号証」の次に「、同第八六号証の一、二」を、同九五枚目表三行目の「申請人ら八名」の次に「(以下「申請人ら八名」という。)」を各加え、同四行目、同裏五行目、同六行目、同九行目、同九八枚目裏四行目、同九九枚目表二行目、同四行目の各「申請人ら」の次に各「八名」を加え、同九七枚目表一一行目の「同係は」を削除し、同行の「同人も」を「同人は」と訂正し、同九九枚目裏一行目末尾の「(」から同三行目の「いない)」までを削除する。)。
二控訴人は、整理解雇の必要性を判断するについては、その整理解雇の時点だけを捉えるのではなく、控訴会社がそれまでにとつてきた希望退職の募集や出向等一連の苦境克服諸施策を検討し、本件整理解雇が企業人として合理的選択の範囲を逸脱したものか否かを判断すべき旨主張する。
なるほど<証拠>によれば、次の事実を一応認めることができる。
1 昭和四八年に始まつたオイルショック以降の海上輸送貨物量の減少により、世界的に大量の過剰船腹が発生し、このため海上輸送運賃が暴落し、新造船の受注が極端に減少した。さらに、円高により日本の船価が実質的に値上りしたこととなり、より一層新造船の諸外国からの受注の減少に拍車をかけることとなつた。控訴会社においても、昭和五一年度の新造船の売上高が四五九億八七〇〇万円であつたのが、昭和五三年度では二二三億〇三〇〇万円と半減し、売上造船重量トン数も昭和五一年度が約四五万六〇〇〇トンであつたのが、昭和五三年度は約一一万七〇〇〇トンと三分の一以下と落ち込み、その結果、昭和五三年度に至つては遂に約一一八億円という赤字を出すに至つた。
2 控訴会社は、このような経営危機を打開するため、昭和五二年一〇月に生産構造改善計画、昭和五三年五月に経営改革計画、同年八月に新経営改革計画をそれぞれ立案し、大阪工場での新造船を廃し伊万里工場に集約することとし、伊万里工場や修繕船部門にできるだけ余剰人員を吸収するように努めるとともに、鉄工部門の受注拡大に努力し、大阪工場新造船部門の余剰人員を吸収することに努めた。また、昭和五一年四月以降新規採用を中止するとともに、退職者の不補充、管理職の賃金カットなどを実施した。そして、控訴会社は前記各計画の中で、昭和五三年二月に希望退職の募集を行い、また、同年九月以降は日本コンクリート、古河金属、平野金属等への出向を実施するとともに、同年一一月には定時操業体制やフレックスタイム制度を実施し、さらに、昭和五四年三月には転進優遇制度による再度の希望退職の募集を行つたうえ、本件指名解雇に至つたものである。
以上一応認定した事実によれば、控訴会社は、会社の高度の経営危機を克服するために人員を削除する必要性が生じたが、余剰人員を吸収するために配置転換や定時操業体制、フレックスタイム制度の導入、出向先の確保に努力し、また、余剰人員の整理に際しても希望退職の募集や転進制度を実施することによつて、労働者にとつて解雇より苦痛の少ない方策をまず実施するなど、解雇を回避するためにそれなりの努力をしてきたことが認められる。
しかしながら、整理解雇は労働者の側に何ら責むべき事由がないにもかかわらず、使用者側の経営の危機克服という一方的事由によつて企業から放逐されるものであるから、仮令整理解雇に先立ち控訴会社が適切妥当な解雇回避措置を講じてきたとしても、解雇時点において、真実その必要性が存するか否かは当然問われなければならず、解雇の必要性がなければもとよりのこと、なお解雇を回避することが可能であれば解雇回避措置を執るべきであつて、それらをなさないまま解雇した場合には、右解雇は解雇権の濫用となるといわなければならない。
三そこで本件解雇時点において整理解雇の必要性が存したか否かについて検討する。
1 <証拠>によれば、次の事実を一応認めることができる。
(一) 控訴会社は、昭和五二年一〇月以降、生産構造改善計画、経営改革計画、新経営改革計画等の一連の合理化方策を立案実施してきたが、昭和五三年一二月、これらを見直すとともに、今後に対処すべく、「工場集約に関する方針と合理化方策」を策定した。そして、その中において既受注工事量や契約の引合いのある未契約工事量及び将来の見込受注工事量を基礎に計画操業時間を算出し、昭和五四年度の操業時間を新造船一三九万時間、海洋陸機材三二万時間、修繕四八万時間、合計二一九万時間と見込んだ。右各操業時間の内訳は別紙(一)のとおりである。
(二) 控訴会社は、右操業時間をもとに売上高や要員計画を立てたが、要員計画立案の順序は次のとおりである。まず、二一九万時間という操業時間を消化するのに必要な直接工の人数を割出すこととし、最初に会社従業員では経験、技能の面で代替困難な業種(塗装、足場、特殊技倆工等)に必要な協力会社や、伊万里工場の新設に伴つてできた地元の協力会社等の直接工の数を平均して一日三三八名を予定し、この三三八名の下請工による消化時間を年間労働日数二八〇日、一日の労働時間八時間として約七五万七〇〇〇時間と見込んだ。そして、二一九万時間から右七五・七万時間を差引いた残りの一四三・三万時間が控訴会社の直接工による操業時間となるので、この操業時間より、年間労働日数二八〇日、一日の労働時間八時間、出勤率九三パーセントと仮定して、要員数を割出すと六八八名となる(以上の計算式はいずれも別紙(二)(1)のとおりである。)。また、役員を除く管理職、事技職、間接工等七百数十名いた間接人員数については、直間比率(間接人員の下請工を含む全従業員に占める割合、別紙(二)(1)参照)を同業他社平均二八パーセントを下回る二五パーセント(三対一)の三四二名に近づけるべく各部署ごとに人員削減の可能性を検討した結果、管理職、事技職三三一名、間接工五九名、合計三九〇名という要員数を割出した(なおこの場合の直間比率は二七・五パーセントである。別紙(二)(1)参照)。そして右直接工六八八名、間接人員三九〇名、合計一〇七八名の要員計画が立案されたのである。
(三) もつとも右要員計画算定の根拠となつた年間労働日数二八〇日、一日の労働時間八時間という数字は、昭和五三年八月ころから控訴会社が組合に対し提案していたが、組合の協力が得られなかつたため、昭和五四年三月一五日当時は未だ実施されておらず、年間労働日数二七〇日、一日の労働時間七・五時間が当時の所定労働時間であつた。そして一日の労働時間については昭和五四年八月以降八時間労働が実施されたが、年間労働日数二八〇日については遂に実施されるに至らなかつた。また、出勤率九三パーセントという数字は、大手造船会社の平均出勤率を参考にして控訴会社が算出した数字であり、控訴会社の実績としては、昭和五一年一〇月一六日から昭和五二年一〇月一五日までの直接工の全社平均出勤率は九〇・一パーセントであり、昭和五二年一〇月一六日から昭和五三年一〇月一五日までのそれは八九・八パーセントであつてほぼ九〇パーセント程度でしかなく、また、伊万里工場における出勤率をみても、昭和五四年度が九二・四パーセントであり、昭和五五年度以降九三パーセントを超えたに過ぎなかつた。しかし右二八〇日、八時間、九三パーセントという数値は、会社再建を目差す控訴会社にとつては何としても実現させなければならない数値であると考えられていた。
(四) 控訴会社には、昭和五四年一月一五日現在一一八二名(出向中の者一一四名を除く。)が在籍していたから、右要員計画によれば、原判決添付別紙(五)記載のとおり、結局一〇四名の余剰が生ずることとなつた。そこで、控訴会社は同月二六日中央生産労務協議会において組合に対して減員方法に関する協定について提案した。その後二、三日おきに労使間でその内容について討議が重ねられたが、組合執行部は、雇用を守ることも大切だが、何よりも会社の経営再建が先決であるとして直ちにこれを受入れることとし、要員計画の根拠やその正当性については何ら追及することなく、転進制度の付加金に関して二、三要求したに過ぎなかつた。それらの討議を踏まえたうえで、組合執行部は同年二月一三日付組合ニュースに控訴会社の右提案内容を掲載して組合員に配付し、また、控訴会社内の組合の掲示板にこれを掲示するなどして組合員への周知徹底がはかられた。そして、同月一五日大阪、伊万里の各支部委員会でこれが了承され、翌一六日控訴会社と組合との間で原判決添付別紙(三)記載の内容を骨子とする減員方法に関する協定が締結された。
(五) 控訴会社は、一〇四名の余剰人員を削減するために、右協定に基づき昭和五四年三月一日から転進の募集を実施したが、それとともに出向勧奨にも努めるなどして剰員調整に努力し、同月一五日までの間に二三名が転進制度によつて退職し、一二名が出向を承諾し、さらに、五一名が自己都合退職によつて退職したため、結局八六名の余剰人員が解消されたが、なお一八名の余剰枠が残存した。ここにおいて控訴会社は、被控訴人ら九名に対し、それぞれ指名解雇基準に該当することを理由として、同日指名解雇する旨意思表示した。なお、九名の余剰枠を残したままであつたが、同年四月一日までの間にさらに一五名の者が自己都合退職によつて控訴会社を退職している。
以上一応認定した事実によれば、控訴会社の立案した要員計画は、既受注船の工事量、引合いのある未契約の工事量及び将来の見込受注船の工事量を基礎にして算出された計画操業時間をもとにし、どうしても実現しなければならないと考えられた年間所定労働時間や出勤率を考慮したうえ立案されたのであつて、具体的根拠を有し、後記のとおり疑問点は存するものの、会社再建を目差す控訴会社の指標としては一応の合理性を有するものであるといえる。
2 しかしながら、将来の指標としていかに適切妥当な要員計画であるとしても、これが直ちに整理解雇の根拠となるものではない。なぜなら、整理解雇は、前記のとおり、労働者の側に何ら責むべき事由が存しないにもかかわらず企業から放逐されるのであるから、必要やむを得ない場合に限り許容されるものであつて、実現もされていない数値をもとにして算出された要員計画に基づき、会社の経営合理化の理想を実現するために、まず解雇が優先されてはならないからである。それ故、要員計画の基礎となつた数値については、現実の数値に引直したうえ人員削減の必要性があるか否かを検討し、なおその必要がある場合にのみ整理解雇し得るといわなければならない。
そこで、右の観点から要員計画をみてみると、計画操業時間を二一九万時間と見込み下請工の人数を三三八名と見込んだことの当否についてはさておくとしても、本件指名解雇がなされた昭和五四年三月一五日時点においては、控訴会社の年間所定労働日数は二七〇日であり、一日の所定労働時間は七・五時間であつたのであるから、出勤率を九三パーセント、直間比率を業界平均の二八パーセントとして計算すれば、直接工は八〇〇名、間接人員は四四三名、合計一二四三名が必要となり、減員どころか、昭和五四年一月一五日現在員数一一八二名より六一名増員しなければならないほど人員不足を生じていたことになる(以上の計算式は別紙(二)(2)記載のとおりである。)また、仮に昭和五四年八月以降に実施された一日の労働時間八時間を基礎として計算してみても、直接工は七二七名、間接人員は四一五名、合計一一四二名であり一一八二名に比し四〇名削減すればよく(別紙(二)(3)参照)、昭和五四年三月一五日現在既に八六名が退職や出向によつて減ぜられていたのであるから、被控訴人らを解雇する必要性は何ら存しなかつたのである。
さらに、出勤率についても、昭和五一年一〇月一六日から昭和五三年一〇月一五日までの直接工の全社平均出勤率約九〇パーセントを基礎にして、労働時間を二七〇日、七・五時間として計算すれば、直接工は八二七名、間接人員は四五四名、合計一二八一名となり、実に九九名が不足しており(別紙(二)(4)参照)、二七〇日、八時間として計算しても削減人員は七名のみで足りることは明らかであり(別紙(二)(5)参照)、仮に伊万里工場において昭和五四年度に実現した出勤率九二・四パーセントを用い、労働時間を控訴人の主張する二八〇日、八時間として計算しても、直接工六九三名、間接人員四〇一名、合計一〇九四名となるから、減員数は八八名で足りることは明らかである(別紙(二)(6)参照)。
いずれにしても、本件整理解雇時点において被控訴人ら九名を削減しなければならない必要性は要員計画上からは何ら存しなかつたといわなければならない。
3 控訴人は、一〇四名の剰員のほかに出向中の者が一一四名も存し、控訴会社としては一〇〇名余の自然減が見込まれるとしても、少なくとも一〇四名の減員が必要であつた旨主張するが、前記のとおり、本件解雇時点に実施されていた労働時間や前年度までの出勤率の実績をもとにして計算すれば、一〇〇名近い人員不足が生じていたものであつて、控訴人の右主張は到底是認し得ないほか、本件指名解雇の必要性については次のような疑問が存する。
(一) 昭和五四年三月一日以降転進の募集が行われたが、転進による退職に比して極めて悪い条件であるにもかかわらず五一名もの自己都合退職者が存し、さらに、同月一五日から同月末までの間に一五名もの自己都合退職者が存したことからすれば、控訴会社としては退職希望者がかなりあつたことが当然予測できた筈であるから、解雇を回避するためになお希望退職を募集すべきであり、仮に希望退職の募集によつて直接工の減少あるいは部門間のアンバランスの発生等が予想されるのであれば、事技間接職あるいは余剰人員を多くかかえる部門に限定して募集すればよく、同時点において、指名解雇基準該当者や退職することを会社が認めた者というような制限を付した転進制度によらない通常の希望退職の募集を実施しなかつたことについて、何ら合理性のある理由を主張しない本件にあつては、希望退職の措置を執ることなく指名解雇せざるを得なかつた必要性は極めて疑問といわざるを得ない。
(二) また、昭和五四年三月一日付で控訴会社が出した「転進について」と題する書面(疎乙第一九号証の二)には、「今後とも職場変更、職種変更、遠隔地への転勤、応援派遣、異業種他会社出向その他を行う予定です。」と記載されており、控訴会社が転進募集のほかになお種々の措置を執り得ることを示唆していることからすれば、同月一五日時点において、右各種の措置を執ることなく被控訴人らを解雇しなければならなかつた合理的理由がはたして存したかは、これまた疑問とするところである。
(三) さらに、下請工の数についてみても、問題はあるにしても整理解雇に先立ち下請を中止すべきところ、昭和五四年四月一日現在少なくとも四一一名の下請工が存在しており、要員計画における三三八名に比して七三名も多く、これにつき控訴会社としては、募集をはるかに上回る希望退職によつて直接工が多数退職し、職種によつてアンバランスが生じ、その後の直課(事技職、間接工を直接工に職種変更すること)によつてもなお直接工が不足するという事情があつたにせよ、要員計画より七〇名余も多い下請工の存在によつても控訴会社の経営の危機に何らの支障がないとすれば、はたして被控訴人ら九名を同年三月一五日に解雇しなければならない理由が存したか疑問といわなければならない。
(四) ところで、控訴会社と組合との間で取交わされた減員方法に関する協定書(疎乙第一八号証)の指名退職による退職日欄は空白となつているが、何故に退職日欄が空白なのか、また、何故に退職日を定めないまま協定が成立したかについては明らかではないし、その後控訴会社と組合との間において退職日を取決めたことを認めるに足りる証拠もない。しかも、控訴会社の年度末が三月三一日である(疎乙第二六ないし第二九号証によつて一応認められる。)ことからすれば、そもそも控訴会社が如何なる根拠及び理由によつて昭和五四年三月一五日に被控訴人らを解雇したのか明らかではないし、その必要性も明らかではない。
4 その他全証拠によつても、昭和五四年三月一五日に被控訴人ら九名を指名解雇しなければ経営危機を克服し得ないこと、すなわち本件解雇による人員削減が必要やむを得なかつたと認めることはできない。かえつて、<証拠>によれば次の事実を一応認めることができる。
すなわち、昭和四九年以降の造船不況の性格と実態が如何なるものであるかは別としても、昭和五三年夏ころを境として、景気動向の上昇に伴い、海運造船業界においても回復の兆しが現われ、控訴会社の新造船受注量も昭和五二年度下期(同年一〇月から昭和五三年三月まで)の三万〇三三二総トン、昭和五三年度上期(同年四月から同年九月まで)の三万二三二七総トンを底として、それ以降昭和五三年度下期(同年一〇月から昭和五四年三月まで)では五万三八七七総トンと増勢をみており、昭和五四年度上期(同年四月から同年九月まで)二〇万九二四九総トン、同下期(同年一〇月から昭和五五年三月まで)二九万三九九三総トンと急速な上昇を示すに至つていることからしても、昭和五四年一月ないし三月が受注量の回復期に入つたとみられる。そして、同年二月一六日付の新聞にはタンカーの需要が出はじめていることを控訴会社も認めており、同年三月三一日付の新聞には日水の八万トンタンカーの受注がほぼ控訴会社に定まり最終ネゴ(折衝)段階に入つていることが報じられており、その後同年五月三〇日右日水向けタンカー、翌三一日太平洋海運向けタンカー、同年六月七日SODOG一〇型タンカーと引続いて新規受注契約が成立しており、引合いから成約まで相当の期間を要することからすれば、同年三月一五日当時かなりの船について引合いがあり成約の見通しもある程度立つていたと推認できる。現に「工場集約に関する方針と合理化対策」においては、八万トンタンカー建造が出はじめ今後もその可能性の大きいことを予想し、生産構造改善計画から新経営改革に至る減量経営化の方針に対する反省がみられるとともに、昭和五四年度の計画操業時間についても、新経営改革計画における操業時間(新造船一三五万時間、海洋陸機材三〇万時間)よりも六万時間ではあるが長い時間(新造船一三九万時間、海洋陸機材三二万時間)を想定している。
以上一応認定した事実によれば、控訴会社としては、本件解雇時点において、近い将来新造船の受注が活発となり、それに伴い人員増が必要となることが予測でき、また、予測していたと推認することができ、指名解雇までして人員を削減する必要性は何ら存しなかつたといわなければならない。
5 なお、本件指名解雇を含む減員協定が組合との間に成立していることは前記のとおりであり、組合が現実に実施されてもいない労働時間をもとに算出された要員計画について何ら質すことなくこれを承認したことは不可解といわざるを得ないが、この点はともかくとしても、仮令指名解雇された労働者が所属する組合が指名解雇を含む人員削減の必要性を認めていたとしても、このこと故に真に必要性のない解雇を正当化するものでないことはいうまでもない。
四以上のとおり、本件においては、昭和五四年三月一五日に被控訴人らを指名解雇する必要性が認められないが、事案に鑑み、なお解雇基準運用の合理性について付言することとする。
1 控訴会社が立てた解雇基準が一応合理性を有すると認められることは、その引用にかかる原判決理由四(原判決七六枚目表九行目から同七八枚目表四行目まで)に認定するとおりであるが、解雇基準がいかに合理的であつても、その運用において合理性を欠くときは、結局それによる解雇は信義則に照らして無効と解さざるを得ないし、仮令解雇基準に該当するとしても、なお個々人の事情を十分斟酌しない場合には、その運用の合理性に疑問が生ずることも当然である。
(一) そこで、まず出向拒否を理由とする解雇基準運用の合理性について検討する。
(1) 被控訴人古川早苗を除くその余の被控訴人ら(以下「被控訴人ら八名」という。)は、再三説得しても会社の認める正当な理由なく出向を拒否したこと(指名解雇基準(イ)項該当)を共通の事由として解雇されたものであるところ、<証拠>によれば、日本コンクリートに対し出向を打診した者は本社、大阪工場において五二名であり、そのうち一六名が出向に応じ、これを拒否した三六名のうち、古河金属等の第二次出向に応じた者八名及び直課した者六名を除き、一四名が自己都合及び転進制度によつて退職しており、第二次出向及び転進をいずれも拒否した被控訴人ら八名が指名解雇されたものであることが一応認められ、被控訴人ら八名のみが出向の対象とされたわけではないし、被控訴人ら八名が出向拒否の理由として掲げる理由が全て合理性があるものとはいえないことは、控訴人の主張するとおりである。
(2) しかしながら、出向は本来使用者に対して給付すべき労働力を第三者の指揮命令下におくことを内容とし、しかも出向により労働者は職種、職務内容、就労場所の変更を余儀なくされるなど実質的不利益を受けることが通常であるから、仮令指名解雇を回避するためにやむなく出向を命じ、または打診することが合理性を有する場合であつても、なお出向に応じられないとする労働者の拒否理由についてはこれを真摯に受けとめ、十分な調査をするなどして、当該労働者の拒否理由が真に合理性を欠くか否かについては慎重に判断されなければならない。
(3) ところで、被控訴人林田時夫が公害認定患者であつて喘息発作の診断書を控訴会社に提出しており、控訴会社の定めた出向除外基準に該当する可能性のあることは、その引用にかかる原判決理由五3(三)(原判決九六枚目裏四行目以下)に認定するとおりであり、被控訴人阿部利行については、<証拠>によれば、同被控訴人は昭和五一年ころ腎臓病に罹患し、一応は回復したものの毎月定期検診のため通院していることを出向拒否理由の一つとして主張していることが一応認められるところ、腎臓病は慢性化したり再発した場合の危険性等も考えられることから、単に現在の検査結果のみによつて直ちに出向の当否について判断し得ないといわなければならず、被控訴人阿部の通院する病院の診断書等を取寄せるなどの慎重な対応が必要であり、また、被控訴人渡具知正雄についてみても、<証拠>によれば、同被控訴人の妻は昭和四三年に控訴会社に入社し、昭和四九年三月同被控訴人と結婚したが、同年六月に慢性腎炎に罹患し、一〇か月の入院生活を送り、六か月の長期欠勤、一年六か月の休職を経て昭和五一年六月三〇日付をもつて退職し、その後も通院治療を続けており、同被控訴人は家事育児の助力のために出向に応じられないことをその拒否理由の一つとして訴えていることが一応認められ、右事実からすれば、被控訴人渡具知の妻の病歴については控訴会社も当然知悉しているところであり、仮令看病を要する病人を抱えていたとしても、そのために本人が欠勤するとは限らないから、被控訴人渡具知が妻の病気を理由に何日欠勤したかは毛頭関係ないことであり、かかる事実が年間一、二日でしかなかつたが故に同被控訴人の妻が病弱でないと判断し得ないことは明らかであり、この点は被控訴人川上正司、同山脇良彦についても同様であつて、いずれも十分調査をする必要があつたといわざるを得ない。控訴会社がこれらの措置を何ら執ることなく、右被控訴人らの拒否理由を直ちに会社の認める正当な事由に当らないとしてこれを一蹴したことは、その運用において疑問がないとはいえない。
(4) また、<証拠>によれば、かつては出向を拒否してもそれによる不利益はないとされていたが、後に出向拒否が指名解雇基準の一つとなり、しかも他の指名解雇基準に該当している者であつても出向に応じさえすれば指名解雇から逃れることができること、被控訴人ら八名が古河金属への第二次出向の打診がなされたのが昭和五四年一月一九日から同月三一日までの間であり、他方控訴会社が指名解雇を含む減員方法に関する協定を組合に提案したのが同月二六日であるから、控訴会社としてはそれ以前に出向拒否が指名解雇基準となることを考えていたことは推測に難くなく、それにもかかわらず被控訴人ら八名に対してはかかる事実について何ら告知しておらず、被控訴人ら八名が転進制度や指名解雇の問題を知つたのは組合ニュースにそれが掲載された同年二月一三日であることが一応認められ、右事実からすれば、被控訴人ら八名が人員削減のために指名解雇もあり得ることを知つた段階では退職の申出をする以外に指名解雇を逃れることはできない状況におかれていたものであつて、指名解雇基準ないしは指名解雇を回避する方策等を事前に知らせていない等その運用に合理性を欠く疑いがあるばかりでなく、疎乙第九一号証によれば、被控訴人ら八名を含む一般の従業員が知り得る以前に転進の申出をして第二次出向の打診がなされなかつた者が存在することが一応認められ、右事実からすれば、被控訴人ら八名に対する対応の仕方と著しい差があることが認められ、その運用が公平に行われたとは認め難い。
(5) さらに、指名解雇基準にかかげる「再三の説得」とは如何なる程度をいうかについては、必ずしも一義的に定められないとしても、出向先として何か所もある場合には、可能な限り多くの出向先を打診し、しかも真摯に説得につとめなければならないと解すべきところ、<証拠>によれば、被控訴人ら八名に対しては第二次出向先として古河金属についてのみ打診がなされ、しかも極めて形式的になされたに過ぎず、被控訴人山脇においては、自ら拒否の意思表示もしないうちに課長が拒否の回答を勤労部に通知するなどしており、控訴会社が人員削減のために真剣に説得することはなかつたことが一応認められ、右事実及び被控訴人ら八名に対して何故に古河金属のみに出向打診したのか、また、第二次出向先の各社に対する出向が定員に満たないにもかわらず何故に出向打診を打切つたかについて控訴会社は何ら合理性のある理由を明らかにしていないことからすれば、被控訴人ら八名が、日本コンクリート及び古河金属への出向を拒否したことが指名解雇基準(イ)項に実質的に該当するか極めて疑問といわなければならない。
(二) 指名解雇基準のうち欠勤日数の点((ヘ)項該当事由)についてみるに、<証拠>によれば、なるほど被控訴人追杉正己及び同山脇良彦の欠勤日数はかなりあるが、右被控訴人らの欠勤理由の中には、始業五分前の閉門により午前八時の始業時間に間に合うにもかかわらず入構できず、しかも右被控訴人らのみが他の従業員と差別され遅刻扱いとされず、仕事に支障がある場合には欠勤扱いのまま就業したことがあることが一応認められるところ、控訴人は、右被控訴人らのみが他の従業員と異なり遅刻扱いとされず、しかも欠勤扱いのまま仕事に従事していたことにつき何ら否定しないばかりか、右被控訴人らのみが他の従業員と差別された取扱いを受けるにつき何ら合理的理由を明らかにしないことに鑑みれば、欠勤日数という一見恣意的判断の入る余地のない画一的な基準であるかに見える右基準も、その運用において恣意的要素が多分に入る余地があり、客観的かつ公平になされていたとは解し難い。
(三) 次に懲戒処分歴の点((ト)項該当事由)についても、被控訴人林田、同阿部、同馬野茂照及び同追杉の各懲戒処分が正当性を有するか否かはさておくとしても、<証拠>によれば、控訴会社は、昭和五三年一〇月一八日に発生した被控訴人盛本に対する暴行傷害事件について、勤労部職員森輝俊及び業務部職員田辺泰朗を昭和五四年五月に至つて出勤停止処分にしたものであるが、右事件については昭和五三年一〇月二〇日被控訴人盛本、同林田は控訴会社に対して厳正な処置を要請していたが、控訴会社は何ら処置することなく放置し、本件指名解雇が終了した後に前記両名を処分したことが一応認められ、右事実からすれば、仮に被控訴人盛本らの申入れ後すみやかに控訴会社が対処していれば、森及び田辺が指名解雇基準に該当することとなることは明らかであり、右処分が遅れたことにつき控訴会社は何ら合理性のある理由を明らかにしていないことに鑑みれば、その運用に恣意がないとはいえない。
以上のとおり、指名解雇基準の運用については必ずしも合理性があるとはいえない。
2 控訴会社における人員整理等の合理化方策は、昭和五二年一〇月の生産構造改善計画以降実施されてきたものであるが、同年一二月ころから伊万里工場への配転打診が行われ、さらに、昭和五三年一月末には大阪要員の内示が行われたが、被控訴人らは誰一人として伊万里要員としての打診を受けたことがなく、かつまた、大阪要員としての内示を受けなかつたことは、その引用にかかる原判決理由五3(二)(原判決八八枚目表一行目から同九三枚目裏七行目まで)に認定するとおりであるが、被控訴人らが当初から伊万里要員でもなく大阪要員でもない極めて例外的なそもそもの余剰人員とされたことについて、控訴会社は今日に至るまで何ら合理的な理由を明らかにしていない。
とりわけ、<証拠>によれば、被控訴人川上正司は昭和四〇年中学校卒業後控訴会社に訓練生として入社したものであるが、仕事に役立たせるためにさらに高等教育を受けるべく定時制工業高校及び大阪工業短期大学夜間制に進学し、昭和四六年同大学卒業後独学の末昭和四九年に二級建築士の資格を取得し、また、三年間の訓練期間修了の際には優等賞を授与されており、有給休暇もほとんど消化することなく仕事に励み、仕事の面で苦情をいわれたこともないことが一応認められ、右事実からすれば、被控訴人川上は控訴会社にとつては最も優秀な模範とすべき労働者と思われ、また、<証拠>によれば、被控訴人盛本は金沢大学工学部機械工学科を卒業後昭和四三年四月控訴会社に入社し、修繕部機関課に配属され現場の技師として仕事をしていたところ、昭和四六年七月一日控訴会社神戸事務所への配転命令を受けたものであるが、控訴会社が被控訴人盛本を神戸事務所に配転した理由は、神戸事務所には修繕工事ことに機関関係に明かるくしかも英語の素養のある技術者を配置させる必要があるところ、被控訴人盛本の経験、能力からみて最も適任であると判断したためである旨、被控訴人盛本と控訴会社間の転勤命令効力停止仮処分申請事件において控訴会社が主張していたことが一応認められ、右事実からすれば、控訴会社は被控訴人盛本を優秀な技術者であると認めていたものであり、さらに、<証拠>によれば、被控訴人渡具知は中学校卒業後昭和四一年四月控訴会社に入社するとともに工業高校機械科定時制に進学したものであるが、同期入社の大半が退職していく中で汗と油にまみれながらも仕事に精を出しており、仕事の面で他から苦情をいわれたこともなく、かえつて指名解雇される直前には数台の機械を動かすなどしていたことが一応認められ、右事実からすれば、被控訴人渡具知は真面目な労働者であつて不足しがちな直接工として何ら問題がないといわなければならず、それにもかかわらず右被控訴人ら三名が当初からそもそも余剰とされ、しかもこの点について控訴人が何ら合理的な理由を明らかにしていないことに鑑みれば、控訴会社は当初から右被控訴人らをも控訴会社から放逐する何らかの意図を有していたと解さざるを得ない。そして、右意図とは、まさしく、その引用にかかる原判決理由五3、4(原判決八〇枚目表八行目から同一〇〇枚目表二行目まで)に認定するとおり、被控訴人らが思想傾向を同じくしながら「守る会」をはじめ様々な活動を行い、控訴会社が推進しようとしていた種々の施策に反対してきたことから、控訴会社が被控訴人らを一個の集団と認識したうえで全員に対して嫌悪の念を抱き、会社の経営不振打開のため人員削減を必要とする状況にあることを奇貨として、嫌悪する被控訴人らを排除する意図にほかならない。
3 控訴人は、被控訴人らを一個の集団として認識したことはないし、被控訴人林田、同盛本を除くその余の被控訴人ら、とりわけ被控訴人阿部、同追杉、同古川が「守る会」または被控訴人林田、同盛本の所属する外部団体とかかわりを持つていたか否かを知ることは不可能であつた旨主張する。しかしながら、前記原判決理由五3、4に認定するとおり、被控訴人林田、同盛本は被控訴人馬野、同川上、同渡具知、同古川、同山脇らとともに組合活動をなし、とりわけ昭和四五年及び四六年春闘においては執行部を批判しながら積極的に活動していたものであるが、控訴会社は被控訴人林田、同盛本を嫌悪し、昭和四六年七月一日被控訴人林田に対し子会社である名和産業株式会社への出向を命じ、同盛本に対しては神戸事務所へ配転を命じたこと、右被控訴人らは出向配転を不当と考え大阪地方裁判所にその効力停止の仮処分申請をしたところ、これを支援するために被控訴人馬野、同川上、同渡具知、同古川、同山脇らが「守る会」を結成し、署名活動やビラ配布、裁判傍聴等の活動を行つたこと、その後「守る会」は次第に控訴会社の施策にも反対する活動も行うようになり、被控訴人林田、同盛本が共産党名入りのビラを配布するに至つたことから、控訴会社は「守る会」を共産党ないしはその強い影響下にある集団とみなして嫌悪し、ビラの内容に対する反論書を掲示するとともにビラ配布者名を公表したこと、しかし会社の公表したビラ配布者の中には被控訴人阿部、同追杉、同古川の名前はなかつたが、右被控訴人らも積極的に活動していたこと、以上の事実からすれば、通常の管理能力のある管理職であれば被控訴人らが「守る会」または被控訴人林田、同盛本らと同調して活動している者であることは容易に判明するところであり、また、<証拠>によれば、控訴会社は被控訴人阿部、同古川に対し、排除意図をむき出しにした露骨ないやがらせともとれる席の配置や配転をしてきたことが一応認められ、これらの事実に、昭和四九年から昭和五〇年にかけてなされた被控訴人川上、同渡具知、同山脇の配転について控訴会社が合理性のある理由を何ら明らかにしていないことや、前記のとおり被控訴人ら八名がそもそもの余剰とされた事実を総合すれば、控訴会社が被控訴人らを一個の集団として認識していたことは明らかであるといわなければならない。
五そうであれば、被控訴人らの本件仮処分申請は、原判決が認容した限度において正当として認容すべきものであつて本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官大野千里 裁判官田坂友男 裁判官島田清次郎)